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奇術奇術 (きじゅつ)あるいはマジック(Magic)とは、人間の錯覚や思い込みを利用し、実際には合理的な原理を用いてあたかも「実現不可能なこと」が起きているかのように見せかける芸能。通常、観客に見せることを前提としてそのための発展を遂げてきたものをいう。手品(てじな)と同義であり、古くは手妻(てづま)、品玉(しなだま)とも呼ばれた。 また、奇術を行う者をマジシャン(Magician)、奇術師(きじゅつし)、手品師(てじなし)などと呼称する。
[編集] 奇術の歴史[編集] 日本以外の国での歴史奇術の歴史は古く、演目の1つ「カップ・アンド・ボール Cup and Ball」は古代エジプトのベニハッサン村の4000年以上前のものと推測されている洞窟壁画にそれらしきものが描かれている(ただし、これはカップ・アンド・ボールを演じているところではないと考える学者もいる)[1]。紀元前1700年頃のものと考えられている書物(ウェストカー・パピルス)には当時のファラオの前で演じた奇術師の様子が詳細に描かれている[2]。ギリシア・ローマ時代には奇術師を「小石を使うもの」という意味の言葉calculariusや「カップを使うもの」という意味の言葉acetabulariiで呼び、これは「カップとボール」(ラテン語acetabula et calculi)を表している[3]。この時代の文書には、奇術師に関連する逸話や見聞録が数多く存在する。 魔術と奇術は、ある意味では非常に近しい関係にある。英語のmagicがその両方を指すように、そもそも奇術は魔術を実現するために発展してきたとも考えられる。 奇術は古代、国家形成以前の時代から行われていたとされ、これは古代の集団においてそれを統率するリーダー的役割の人間は、不思議な力があることが大きな影響力を持っていた(日本では卑弥呼など)ことに由来する。リーダーは、民衆とは違ったことができるということをアピールすることで権力を得たともいわれるからである。このような奇術を「原始奇術」、「ビザー・マジック」とも言い、古代社会では大きな影響力を持つことに成功したと見られる。
ヒエロニムス・ボス『手品師』(『いかさま師』とも。1475-1480年頃)。古典奇術「カップと玉」に目を奪われた客の財布を、左端の男が狙っている
中世から近世にかけて西ヨーロッパにおいて、奇術を演じる者は「悪魔と契約を結んで本当に邪な力を得たのではないか」との嫌疑をかけられることがあり、一部の奇術師たちは訴えられて処罰された。近世に入って魔女狩りが盛んに行われるとヨーロッパでは奇術の技術的発展もストップした。この時代、旅回りのジプシー(ロマ)や芸人、一部の「白魔術」を行う奇術師によってのみ演技は継承されていた。 1584年にイギリスの私淑者レジナルド・スコットが、魔女狩りから無実の人々を救う目的で『妖術の開示』をロンドンで出版[4]。この中には奇術の解説も含まれており、世界最古の奇術解説書となっている(その他の有名な初期の解説書といえば「ホーカス・ポーカス・ジュニア」など)。 [編集] 日本における歴史日本における奇術の歴史は、奈良時代に唐より仏教とともに伝来した「散楽」が始まりとされ、狂言や能などと同じ源流を持っている。 大道芸として発展し、「放下」「呪術」「幻術」と呼ばれたが、戦国時代には芸として完成している。ただし、室町時代以降はキリシタン・バテレンの妖術と非難され、一時禁止された。陰陽師(安部晴明など)の術も奇術の原理を使用していたとされる[5]。戦国時代の果心居士などが有名。 江戸時代頃から手妻(てづま)、品玉と呼ばれ、柳川一蝶斎や塩屋長次郎らが舞台で活躍した。特に塩屋長次郎は世界に先駆けて「ブラック・アート」(イリュージョンを参照)を完成させた人物である[6]。この時代に完成した日本奇術(和妻)の中でも水芸や胡蝶の舞、ヒョコといった演目は傑作となっている。江戸時代以降は奇術解説書が多く出版されるようになり、日本最古のものは「神仙戯術」(元禄10年、1697年)であり、これは明の文人画の大家、陳眉公の翻訳である[7]。江戸時代、奇術は知的な座敷芸として認知されていた。趣味人や知識人が著し、当時のプロが演じていた大掛かりなものから、座敷で演じるものまでが解説され、当時の日本人は既にエンターテイメントとして奇術を楽しんでいたことがわかる。江戸時代の著名な奇術解説書としては、「座敷芸比翼品玉」「秘事百撰」など。幕末から明治維新に掛けて来日した外国人は、手妻(特に胡蝶の舞)に驚嘆したという記録が残っている[8]。 この時代には歌舞伎や人形浄瑠璃、からくり人形の舞台も大変な人気で、奇術的な原理を使用するものも多く、密接な関係を保っていた[9]。 明治時代に、ヨーロッパ巡業した松旭斎天一やその一門などを始めとした数多くの奇術師が「西洋奇術」を披露し、人気を博した。このために、世界的に見てもユニークな手妻は徐々に勢いを無くし、現在では限られた奇術師(手妻師)しか演じなくなっている。 現在の日本で見られる奇術のほとんどは欧米で発達したものであるため、日本古来の手妻(てづま)、品玉(しなだま)を指す場合に、特に西洋奇術の洋妻(ようづま)に対し和妻(わづま)という呼び方がされることもある。 1900年代初期から、日本奇術界は欧米のコピーに傾倒し始める。 海外の知識が日本に流入するようになってから、奇術は手妻以上に演芸として確立する。 戦前は、松旭斎天一の弟子「魔術の女王」松旭斎天勝など松旭斎一門や様々な流派、または師弟関係の無い独学のマジシャンが興行を成功させた。また、アマチュアの研究家だった坂本種芳などが活躍し、同氏は1935年に海外の著名な賞であるスフィンクス賞を受けるなどしている。この時期に、様々な同好会が設立された。奇術のスタイルとしては、ステージマジックが主流であった。しかし、第二次世界大戦が長引くにつれ情報は乏しくなって行く。 戦後になると、小野坂東や高木重朗の尽力で欧米の奇術が再び日本へ紹介され、大きな影響を与えた[10]。この頃は、クロースアップ・マジックに関連する情報が多く、この分野が急激に発展した。また、プロマジシャン以外にも、アマチュアながらも優秀な愛好家が増加。沢浩や厚川昌男といったアマチュアマジシャンが世界を驚嘆させる奇術を創案し、その他多くの優秀な人材が生まれている。 現在では日本の奇術愛好家人口も増加し、全国各地に同好会が存在する。世界の舞台で活躍するマジシャンも多く、「マジック界のオリンピック」の異名を持つ世界大会「FISM」などへ入賞するケースが増えている。 世界で活躍したマジシャンとしては、石田天海や島田晴夫、峯村健二ら。 1970年代に初代・引田天功などがステージマジックで成功し、1990年代には超魔術ブーム、2000年代にはクロースアップ・マジックがブームを巻き起こした。 [編集] 近代以降大道芸や食卓芸として発展してきた欧米では、魔女裁判以降に奇術は再興、各国の王家専属の宮廷奇術師らも登場した。ステージマジック、イリュージョンが人気を博し、1845年のロベール・ウーダンの登場から奇術は近代芸能へと変化を遂げる。それまでの「黒魔術的な怪しい衣装で暗い照明の下、不気味な演出で」行われていた奇術を、ウーダンは「燕尾服に明るい照明、スマートな演出」を行うことで完全なエンターテイメントへ変えた最初の人物である。このことから、ウーダンは「近代奇術の父」と呼ばれる。この時代の奇術師にはドコルタ、ストダー大佐らがいる。また、ステージ奇術師と同様に、サーカスに同行する奇術師(旅回り)や街頭奇術師は数多く存在していた。 19世紀後半から20世紀初頭まで、ボードヴィルやナイトクラブでのショー、ステージショーが全盛を極めた。当時はこういった分野が最も隆盛を極めた時代であり、1950年代に映画産業が発達するまでの代表的な演目だった。この時代まで、プロは相当数いたとされるが趣味としているのは一部の裕福な家庭の知識人だけであった。この時代に活躍したマジシャンとしては、ハリー・フーディーニやハワード・サーストン、ハリー・ケラーら。 しかし、1800年代後半から多くの優れた奇術解説書が出版され、奇術は趣味として浸透し始める。多くはアマチュアの著作であることから「19世紀はプロの時代、20世紀はアマチュアの時代」と言われることがある(代表的なものはホフマン教授(プロフェッサー・ホフマン)著「モダン・マジック」など)。なお、近代-現在では「GENII」や「Magic」、日本の「The Magic」などといった奇術専門雑誌が発行されている。 20世紀に入ってから、映画人気の影響や1929年の世界恐慌などによって、イリュージョンなどの大舞台の興行は大打撃を受け、次第に奇術師の活躍の場はナイトクラブなどに移行した[11][12]。舞台が人気を失う中で、ラジオ番組やテレビ番組などへの登場で活躍の場を見つけ出した奇術師もいた。 1930年代以降は、大舞台にかわって身近なものを使ったみせるクロースアップ・マジックがよく演じられるようになり、クロースアップ系の雑誌なども発行されるようになった[13]。ダイ・バーノンをはじめとしてクロースアップの分野で多大な功績を残すマジシャンが多く登場している。 現在では、奇術の演技形態だけでなく、タネに科学的なものも加わり進化は続いている。また身近で見せる奇術から大規模なイリュージョンまでさまざまな演技形態でプロが存在し、ショービジネス界で大成功を収めている奇術師も多く存在する(デビッド・カッパーフィールド、ランス・バートンなど)。日本では引田天功(初代、二代目)、Mr.マリックなどが成功を収めており、十数年おきにマジックブームが到来している。 ギネス記録へ認定されるマジシャンとしては、デビッド・カッパーフィールドやジョナサン・ペンドラゴン、リッキー・ジェイ、山上兄弟が挙げられる。 「マジック界のオリンピック」とも形容されるFISM(Fédération Internationale des Sociétés Magiques)やIBM(International Brotherhood of Magicians)、S.A.M.(Society of American Magicians)といった世界的規模の会が存在している。コンベンション(大会)と呼ばれる催し物を開催し、全世界に奇術愛好家のネットワークが存在。プロからアマチュアまで垣根のない交流が可能といえる。日本ではJCMA(Japan Close-Up Magicians Association)や日本奇術協会、またS.A.M.ジャパン(S.A.M.の日本支部)などが存在している。 [編集] 奇術の分類[編集] 観客との距離による分類
[編集] 道具による分類
[編集] 現象による分類多くの研究家が自らの分類を発表している。
[編集] 方法による分類およそ以下の3つに分けられるが、2つ以上が組み合わさって成立している奇術もあり、また同一の奇術が複数の異なる方法によって実現できることもある。
[編集] 演出による分類
[編集] その他の分類
[編集] 手品のタネタネあかしは奇術の世界では現在でも重大なタブーと見なされる。ただし実用新案の期限切れや守秘義務の無いものや市販の手品グッズを使ったものや一般の書店で購入できるタネ本に紹介されているもの、誰でも簡単に見破れるものなどのタネ明かしたり、それをギャグとして行なうマジシャンもいる(ナポレオンズ、ゼンジー北京、マギー一門など)。 [編集] 技法奇術を成立させるために使用される手段の一つ。例えば奇術師がひそかに、カードを特定の場所にコントロールしたり、手に隠し持ったりする方法。シークレット・ムーブ。 観客に気づかれないように行わなければならないシークレット・ムーブとは対照的に、演者が技術をアピールするためにトランプなどを曲芸のように操る技術をフラリッシュという。 [編集] 生で奇術を見られる場所
プロの奇術師が行なうショーはホテルなどのイベントして催されることも多い。社団法人日本奇術協会が1990年よりアマチュアとプロを対象としたコンテストを毎年行なっているので、それに参加すると見ることができる。 [編集] サーストンの三原則日本には初心者が奇術を演じるときの心構えを示すサーストンの三原則という格言がある。
の3つを説明している。しかし必ずしもこれが全てではなく、何度も同じ現象を見せることにより不思議さを増す現象(アンビシャスカードなど)もある。 なお、サーストンとはアメリカのマジシャンであるハワード・サーストンのことであるが、彼がこのような格言を残したという記録は残っておらず、またアメリカでもこのような格言は浸透していない[15]。3つの原則のうち1と2に関してはホフマンの『モダン・マジック』(1876年)のイントロダクションで紹介されている[16]。 [編集] 奇術趣味の著名人奇術は、さまざまな著名人と関係が深い場合がある。中にはプロさながらの功績、テクニック、実力を持つ人物もあり、以下のような著名人が趣味としている。 [編集] 日本
[編集] 海外
[編集] 奇術に関連する作品奇術を題材にした小説や映画などは数多く製作されている。特に推理小説の分野では泡坂妻夫やクレイトン・ロースン、ジョン・ディクスン・カー(カーター・ディクスン)のように作家が奇術師の場合もある。 [編集] 映像作品[編集] テレビドラマ
[編集] 映画
[編集] アニメ
[編集] 文学作品[編集] 推理小説
[編集] 推理小説以外
[編集] 漫画作品
[編集] コンピュータゲーム[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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