ジョン・ミルトン

ジョン・ミルトン
ジョン・ミルトン

ジョン・ミルトンJohn Milton, 1608年12月9日 - 1674年11月8日から11月10日の間)は、イギリス詩人

代表作に『失楽園』など。

目次

[編集] 人生

1625年ケンブリッジ大学クライストカレッジに入学。その端麗な容姿と清らかな心情により”クライストの淑女 Lady of Christ's”とよばれた。学生仲間の間の評判はあまりよくなかった。1629年、学士号取得。1632年修士号取得。6年間ホートンで思索と創作にふけり、仮面劇『コーマスComus』(1634年)やエレジー『リシダスLycidas』(1637年)を書き、1637年『コーマス』が上演・出版される。母親死亡。1638年-1639年フランスとイタリアを周遊し、この際晩年のガリレイにも会見したという。帰国してピューリタンの信仰に基づいて一連のパンフレットを書き、監督教会制度に反対した。1642年17歳のメアリと結婚したが、まもなく離婚。

1648年チャールズ1世処刑後は、クロムウェルの共和制を擁護し、政府のラテン語書記に任ぜられ(1649年)、国王処刑の正当なことを訴え、精力的に政治文書に著す。このころから過労のため視力が衰え、1652年に失明した。1660年の王政復古により、書記の職を失い、全財産を没収された。また、共和制を擁護した著作は発禁、焚書の憂き目を見た。一時は生命の危険にさらされ、数ヶ月におよぶ潜伏生活を余儀なくされたが、同年に出された大赦令により死刑を免れている。

1656年に二度目の結婚をしているが、妻は2年後の出産時に死亡している。1663年に三度目の結婚をし、ようやく家庭の平和を得、詩作に没頭した。1658年、叙事詩の大作『失楽園』に取りかかる。旧約聖書にあらわれる楽園喪失の物語を構想の雄大、深い宗教的情熱によって描き、イギリス文学最高傑作の一つとなる。『復楽園』では神とサタンの対決を書き、『闘士サムソン』ではギリシア悲劇の形式を借り、盲目のサムソンに託して、逆境に呻吟するミルトン自身の苦悩と神の摂理への信仰とを歌った。

[編集] 作品

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[編集] パンフレット・政治的な文書など

  • 『イングランド宗教改革論』(未来社) Reformation of church discipline in England 1641年
  • 『離婚の教理と規律』(未来社) The doctrine and disciple of divorse 1643年
  • 『言論の自由』(岩波文庫) Areopagitica 1644年
  • 「偶像破壊者」Eikonoklastes 1649年
  • 『イングランド国民のための第一弁護論および第二弁護論』(未来社)Propopulo anglicano defensio 1651年
ウィキメディア・コモンズ

[編集] 関連事項

[編集] 外部リンク

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ウィキクォートジョン・ミルトンに関する引用句集があります。


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